そごう川口店が、本日2月28日をもって約30年の歴史に幕を下ろします。
私は幼い頃に両親に連れられてそごう川口店で玩具を買ってもらったり、最近でも買い物でしばしば利用したりと思い出が少なからずあります。
川口駅周辺ではシンボル的存在でしたし、いざ無くなるととても寂しいものです。最終日の本日、駆けつけて様子を目に焼き付けてきました。
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そごう川口店 最終日は異例の人だかり

写真ではわかりづらいですが、川口駅から続くペデストリアンデッキからそごうを見ると、茶色い入り口付近の人が多いことがわかりました。
近年ではここまで来客があるのは稀ではないでしょうか。みんな寂しくて別れを告げにきたのでしょう。
そごう川口店のシンボル SEIKOの大型時計


入り口前にはSEIKO製の大きな時計があります。12時や15時などキリの良い時間で鐘が鳴り、「小さな世界」の音楽とともに、パネルが裏返って人形が出たり入ったりしながら楽しませてくれます。
子供の頃にじっと見ていた記憶があります。これももう見れなくなるのは寂しい。
閉店までの日数をカウントダウンされていたのは気づいていたものの、いよいよ最終日、あと「1日」。
さよならの前に、できること。
なんとも深みのある良いメッセージです。

店内でもカウントダウンのスペースがあります。閉店セールとして、さよなら大セールを開催。
物によってはけっこう安くなっていましたので、私も何点か買い物しました。
わが街川口写真展を開催 そごう川口店の歴史を振り返る

エントランスを入ると、「わが街川口写真展」が催されていました。
1月にも買い物に行きましたが、いつもはエントランスでは物産展のような形態でお店が並んでいるんですよね。なので長くても一ヶ月前後しか写真展はやっていないのではないでしょうか。
貴重な写真がいっぱいで、もっと長くやってほしかったな。


なんとそごう川口店開店当初の写真がありました。大きく拡大してみます。


開店当時、1991年10月16日とのことですが、ものすごい人混みですね。その時は今みたいにものが溢れていなくて、気軽に通販を使うこともなかった時代。
きっと地元の人、周辺駅の人からすると、夢や希望がいっぱい詰まった百貨店が川口にできて、とても嬉しかったんだろうなと想像しています。
写真によく父に連れて行ってもらった玩具屋さんも映っていて、懐かしくてたまりません。

昭和58年の航空写真がありました。写真中央が川口駅で、駅の右の大通りを挟んだところがそごう川口店になる土地ですね。
駅の左側は国立公害資源研究所の敷地だったそうですが、今では文化センターのリリア、川口西公園、そしてタワマンがいっぱい整備されています。こんなに緑はありません。

そごう川口店の開店当時の新聞折り込みチラシ。
時代を感じる内容ですが、キャッチフレーズが素敵ですね。
世界の素敵が川口へ
とても希望に溢れたメッセージと内容。百貨店の役割は時代とともに変わることは仕方ないですが、お客へのメッセージ発信の質は尊敬します。なんとも言えない希望や温かさがあって素敵です。
ありがとう、そごう川口店 川口駅職員も謝意

川口駅には写真のような横断幕があります。全く同感です。
そごう川口店の重要性

そごう川口店がなくなることで、埼玉県には大宮店しかそごうが存在しなくなります。
地元住民にとってはそれだけではなく、そごう川口店がなくなることで川口駅前の灯りが減ることは大きなインパクトだと思います。
写真は本年1月に買い物に行った時のそごう川口駅周辺の写真です。真ん中のそごうの存在が重要で、そこが真っ暗になったら寂しいだけではなく街の活気も失われます。
そごう川口店の裏側にイトーヨーカドー跡地の再開発が進んでおりますが、駅前からは離れています。
そごう柏店が閉店した時は、4年以上そのままなようですが、そごう川口店の跡地利用についても、まだ何も決まっていないそうです。
そごう川口店がなくなるのは寂しいですが、早めに跡地利用についても方向性が見えてくるといいですね。
まとめ
そごう川口店が閉店してしまうため、最終日に駆けつけました。
普段以上に人が多く、懐かしむ声や別れを寂しく思う人々の会話が聞こえました。
昨年は新型コロナウイルス感染症の影響で閉店1年前だというのに休業を余儀なくされたり、時短営業をしたりと、そごう川口店は大変な状況だったと思います。
それでも、「さよならの前に、できること。」とメッセージを打ち出し、感染対策も徹底し、お客を迎え続けたそごう川口店には感謝の気持ちでいっぱいです。
思い出の地が一つ減ってしまうのはとても哀しいですが、そごう川口店、従業員、関係者のみなさま、大変お疲れ様でした。
さよなら、そごう川口店
ありがとう、そごう川口店